世界から猫が消えたなら

「明日の朝が来る事が当たり前だと思っていた。」

「何かを得る為には、何かを失わなくてはならない。それが世界のルールだ。」

「映画は無限にある。だから、このやりとりも永遠に続く。」

「いい物語があって、それを語るべき相手がいる。

それだけで人生は捨てたものじゃない。(海の上のピアニスト)」

「人生を分や秒で区切っているのは人間くらいのものだ。」

「私が死ぬまでにしたい事は、全てあなたのためにしたい事だった。」

「人間が猫を飼っているんじゃない。猫が人間の側にいてくれるんだ。」

「映画が好きで良かった。映画は僕に親友をくれた。」


電話、映画、時計…。

ある事が当たり前の物が無くなる時、改めてその価値に気がつく。

単純にそのもの自体が無くなるだけではない。

それをきっかけに起こった事、それをきっかけに出会った人。

その全てが無くなるとしたら、そのかけがえの無さも良く分かる。

世界から「猫」が消えても何も変わらないと思うのなら、

世界から「僕」が消えても何も変わらないのと同じ事だ。

それが「猫」である必然性は無い。

世界から「何か」が消えた時、それでわずかでも世界が変わるのなら、

それがその「何か」が存在した意味になる。

全てのものを愛おしく見つめ直せるきっかけになる作品でもあった。