永い言い訳

「衣笠幸夫という名前である限り、俺の人生は鉄人のまがい物でしかない。」

「先生は私の事を抱いてるんじゃない。誰の事も抱いた事ないんですよ。」

「子育ては男にとっての免罪符。全てを帳消しにしてくれる。自分が最低の人間だという事も。」

「お父さんは弱いから泣くんじゃない。強いから泣くんだ。

強い人間は、大切な人を失った時にちゃんと逃げずに悲しめる。ちゃんと泣ける。」

「死が辛いのは、死んだ人間じゃなく、残された人間だ。君の死は暴力だ。」

「自分の幸せの尺度でものを言うなよ。」

「人間の心は強くて弱い。いつかポキッと折れる。大人になっても。親になっても。」

「自分を大事思ってくれる人を裏切っちゃいけない。見下しちゃいけない。落としめちゃいけない。」

「人生は他者だ。」


人間にとって「強い」とは何か。

大切な人を失った時に、その人間が出る。


泣かない人間が強いのか。

いつまでも引きずらず前を向ける人間が強いのか。

ただ、それは現実と真正面から向き合わず、逃げているだけかもしれない。

辛い現実に対して、ちゃんと悲しんで、ちゃんと泣けるという事は、

逃げずに向き合っている事であり、それは強くなくては出来ない。

子供との触れ合いは微笑ましくもあるが、

裏を返せば、必死に言い訳をしている様にも映る。

留守番電話も印象的だった。

大切な人が突然いなくなった時、留守番電話に残された何気ないメッセージが

一瞬にして大切な宝物に変化するのだと改めて気付かされた。