そして父になる

「子供は時間だ。父親だって取り替えの効かない仕事だろ。」

「血だ。離れていたって似てくる。親子とはそういういうものだ。」

「似てるとか似てないとかにこだわってるのは、

子供と繋がっている実感のない男だけだ。」


親子とは、血なのか、時間なのか。

終始その疑問が頭を駆け巡っていた。

誰が加害者で被害者なのか。

誰が勝者で敗者なのか。

夫の目線、妻の目線、

もう一方の夫婦の目線、

そして双方の子供の目線。

どの目線から見るかによって、その答えは何重にも変化する。

親子、そして家族というものの在り方に、正解がないことを思い知らされた。

そんな中で、福山演じる主人公が、ギターを鉄砲に見立てて、取り替えた息子と相対峙するシーン。

全身に鳥肌が立った。

まさにあの瞬間、彼は父親になった。

いや、なろうとした。

確かに「父親」という「地位」には、何もせずとも自然とつけるかもしれない。

ただ、「父親」という「存在」になるためには、

父親になることを決意し、父親になることに努力して、初めてなり得る。

その事は、血や時間をも越えて重要なことなのだろう。

一般的には、当たり前かもしれない、

血も、時間も、共に一致した親子というものが、

実はとても恵まれたことだと改めて思わされた。


道路、ストロー、カメラ。

登場人物の境遇や心情を象徴する使い方も実に上手かった。

上映中、画面に釘付けになった。