名前の半分
ここ最近、ずっと石原慎太郎の『弟』を読んでいた。
合わせて、数年前に放送されたドラマも見返してみた。
その中で、ふと「そういえば」と思い出した事があった。
“兄貴の名前”
兄貴の名前には、裕次郎と同じ「裕」の字がついている。
いつだったか、親も裕次郎からとったと言っていた。
そんなことを思い出しながら、なんとなく自分の名前に目を向けてみる。
生まれて26年間、ずっと共にしてきた名前。
見慣れ、書き慣れ、使い慣れてきた名前。
幼い頃、誰しも一度は自分の名前の由来を親に尋ねた事があると思う。
どうしてこの名前をつけたのか?
どうしてこの字を選んだのか?
僕も聞いたことがある。
ただ、改めて見直してみて、実は曖昧な事に気がついた。
それは、名前の2番目の文字。
1番目の文字については、イコール名前の由来でもあり、
その字を選んだ理由も、よくわかる。
しかし2番目の文字について聞いたことは、
思い出してみたら、これまでになかったように思う。
僕の2番目には、この文字がついている。
「二」でも「次」でも「治」でも「児」でもなく
「司」の文字がついている。
全部で2文字しかない名前の1文字。
僕の50%はこの文字から出来ていると言っていいかも知れない。
これまで、ずっとこの文字と一緒に生きてきたし、
これからも、ずっとこの文字と一緒に生きていくだろう。
もし、この文字を選んだ理由を親に尋ねてみたら、
期待していた大層な理由などなく、
“なんとなく”つけたと言われるかも知れない。
ただ一つ言える事は、
「二」でも「次」でも「治」でも「児」でもなく
選ばれて自分についている「司」という字が
僕は“なんとなく”好きだということ。
「自分の名前」
あまりにも近すぎて、見つめ返す機会はあまりないけれど、
それは、自分の方向性を照らしてくれるヒントになるのかも知れない。