カツベン!

「真似しか出来ねえ半端もんが利いた様な事言うんじゃねぇ。」

「駄作も俺にかかりゃ一級品だ。」

「時代は変わる。いつまでも同じ事は通用しない。」

「写真に客が付くんじゃねえ。俺の説明に客が付くんだ。」

「写真を面白くするのも弁士の技量だ。」

「同じ弁士は二人もいらん。」

「説明が無くても映画はあり得る。だが映画が無ければ弁士はあり得ない。

俺達の仕事はその程度のもんだ。」

「日本には真のサイレント映画は無かった。何故なら活動弁士がいたから。」


同じ作品は二つと無い。

弁士が活躍していた頃の映画には、今には無い活気とライブ感があったのだろう。

作品を生かすも殺すも弁士次第。

それは醍醐味でもあり重責でもある。

技術の進歩によって仕事を奪われる象徴の様な弁士には、どうしても寂しさが漂う。

バラバラの映像を弁士の力で一つの物語へと昇華させる場面では、

弁士が映画に勝利した様な痛快さがあった。

当時の活気に満ちた雰囲気を画面を通して味わう事が出来た。