悼む人

「世間がエグい現実に疲れているんだ。」

「犯人を恨むと、加害者に思いがいってしまい、被害者が二の次になってしまう。」

「あなたに静人はどう映りましたか。

あなたの出会った静人だけが、あなたの知り得る静人なんです。」


人の死にとって大切なのは、

その死を知ることよりも、その死を覚えておくこと。

確かにその人が生きていたことを、忘れないでいること。

ただ、覚えておくことは、知ることよりもはるかに難しい。

最近よく思うのは、

誰かの死のニュースに触れないという日は、一日として無いということ。

夥しい数の死が目の前を通り過ぎていく。

一時の瞬間風速で感情の高ぶりを覚えても、やがて時間と共に忘れ去られていく。

その全てを蓄積していったら、恐らくその重さに耐えられなくなる。

だからこそ、ただ覚えておくことさえも困難になる。

忘れたら忘れた分だけ、命の重みは軽くなる。

ただ、忘れずに蓄積された重みの分だけ、それを命の重みとして感じとれる。

「ただ覚えておく」

それだけで救われる命もある。

「悼む」とは、そういうことだろう。

「誰を愛し、誰に愛され、どんな事で感謝されたか。」

人が死を迎える時、

それ以上に必要な肩書は無いように思えた。


やや観念的な印象もあった。

ただ本作は、作品自体がどうというより、

見た人間が何を思うかが大事な様に思う。