演劇らくご芝浜
「他の人がやると人情噺になるけど、談志の芝浜は、壮絶な大人のお伽話。」
一粒で二度おいしいとはよく聞くけれど、
これは一粒で何度おいしいことか。
演劇だけでも一つの世界があり、落語だけでも一つの世界がある。
それが融合した「演劇らくご」
下手をしたら、ただの物珍しい見世物になる所だ。
それがこの舞台では、そんなレベルで終わってはいない。
むしろ融合しなければならない必然性すら感じられた。
演劇とは、個々の役者がピースとなって、一つの世界を作るもの。
あまりに一つが突出し過ぎては、和が乱れ兼ねない。
ただそのピースの一つに「立川志らく」がいるのは、あまりに異質。
ピースにしては、既に「一人で一つの世界」が出来上がっているのだから。
それでいて、見事に演劇世界の中に溶け合っているのは、
「志らく」という世界そのものが、一つの役として演じられていたからだろう。
一つの世界を包み込んで、また一つの世界が出来上がるという二重の構造。
そこに「演劇らくご」でしか見られない必然性を見た気がした。
複数で生み出す演劇と、たった一人で生み出す落語。
生み出される世界の凄みは、両者で拮抗し得るから面白い。
そして蛭子さん。
どんな役を演じようとも、そこから「蛭子さん」というキャラクターが消える事は無い。
どこまでいっても、蛭子さんは蛭子さん。
そこがまた良いと思える、唯一無二の存在だ。
モロ師岡さんの確実に笑いの取れる演技も見事。
フィクションの中に織り込むリアルの案配も絶妙。
そして志らくさんの談志落語再現。
物真似などは言うに及ばず、憑依という表現ですら足りない。
志らくいる限り、談志は死なない。
回りくどくいろいろ書いたけれど、
結果、笑った、息を飲んだ、見て良かった。
一粒で二度おいしいとはよく聞くけれど、
これは一粒で何度おいしいことか。
演劇だけでも一つの世界があり、落語だけでも一つの世界がある。
それが融合した「演劇らくご」
下手をしたら、ただの物珍しい見世物になる所だ。
それがこの舞台では、そんなレベルで終わってはいない。
むしろ融合しなければならない必然性すら感じられた。
演劇とは、個々の役者がピースとなって、一つの世界を作るもの。
あまりに一つが突出し過ぎては、和が乱れ兼ねない。
ただそのピースの一つに「立川志らく」がいるのは、あまりに異質。
ピースにしては、既に「一人で一つの世界」が出来上がっているのだから。
それでいて、見事に演劇世界の中に溶け合っているのは、
「志らく」という世界そのものが、一つの役として演じられていたからだろう。
一つの世界を包み込んで、また一つの世界が出来上がるという二重の構造。
そこに「演劇らくご」でしか見られない必然性を見た気がした。
複数で生み出す演劇と、たった一人で生み出す落語。
生み出される世界の凄みは、両者で拮抗し得るから面白い。
そして蛭子さん。
どんな役を演じようとも、そこから「蛭子さん」というキャラクターが消える事は無い。
どこまでいっても、蛭子さんは蛭子さん。
そこがまた良いと思える、唯一無二の存在だ。
モロ師岡さんの確実に笑いの取れる演技も見事。
フィクションの中に織り込むリアルの案配も絶妙。
そして志らくさんの談志落語再現。
物真似などは言うに及ばず、憑依という表現ですら足りない。
志らくいる限り、談志は死なない。
回りくどくいろいろ書いたけれど、
結果、笑った、息を飲んだ、見て良かった。