ロボコップ

人間が「安心」を得るために、人間の「感情」は必要か。

どんなにテクノロジーが進歩しようとも、「心」を持たないロボットに、自身の運命を委ねられるか。

感情は時に暴走するかもしれないが、

いざという時に抑制が働くのもまた、感情のなせる技だろう。

テクノロジーの進歩を無条件に歓迎し受け入れるのではなく、

それを恐れ、人間の感情を必要とするという発想。

ロボコップ」という存在に、実は深いテーマ性があった事を改めて感じた。

また、平和も安全も、全ては「経済の論理」で動くというアメリカの一面も見た。


余談として、

オリジナルのロボコップが何故あんなにも強烈なインパクトを持って記憶に残っているのか。

振り返ってみれば、

物心がついて初めて目の当たりにした「人間の死」があの作品だったからかもしれない。

今よりもっと生々しく、心底恐怖した様に思う。

あの衝撃を超えるのは、映像技術の進歩とは、別の次元の問題だろう。