カウントダウンZERO

「私たちは、細い糸に吊り下げられた“核の剣”の下にいる。

その糸は、“事故・誤算・狂気”によって、切断され得る。

戦争兵器に滅ぼされる前に、戦争兵器を滅ぼそう。」

―――ジョン・F・ケネディ



現在、世界に存在している核兵器の数は、2万3000発という。

どれだけの人が、その事実を驚異として認識しているだろう。

もしリビア核兵器保有していたら、カダフィはおそらく発射ボタンを押していたのではないか。

日本も人ごとではない。

現に、オウムはロシアからの高濃縮ウランを調達しようとしていた。

人は、やられたらやり返すし、追い詰められたら爆発するものだ。

押さえようのない疑心暗鬼が、「ナショナル・プライド」の名の下に、各国に核開発を促した。

劇中で、イランのアフマディネジャドはこう語る。

核兵器が良いものならば、我々も持つべきだ。

悪いものならば、(現保有国は)何故持っている?」

保有国がその回答のために、平和利用をうたうのであれば、彼らもまたそううたう。

平和利用も可能だが、兵器転用も可能な核技術。

やはり、核の牽制による平和の維持は、リスクが高すぎると思えてならない。



少しズレるが、もう一つ見ていて思ったこと。

それは、日本語の罪深さだ。

劇中でのそれは、一貫して「nuclear」と表現されていた。

英語では一つの単語が、日本語になると、「核」と「原子力」に訳し分けられる。

この訳し分けが、両者に別物のような印象を与えてきたように思える。

「核発電」という響きに、日本人は安全神話を抱けるだろうか。