火ならば「熱い」
水ならば「溺れる」
叩かれたら「痛い」
感覚としてリアルにイメージできる恐怖なら人は敏感になれる。
ただし
放射線の場合は違う。
どれだけ
線量計がけたたましく鳴り響いても、恐ろしさが感覚としてわからない。
わからないものを切実に恐れるということは、実はかなり難しい。
「正しく恐れる」ということは、簡単そうで難しい。
時間の経過に、そして情報の波に感覚が摩耗しないように
これからも当事者意識を持って、経過を見ていきたいと思う。
悲しいかな、今の福島の現実にこのエンドクレジットが流れることはない。
「この物語はフィクションです」