欽ちゃんがくれたもの
今年の24時間テレビのマラソンランナーが、
欽ちゃんだと知ったときに思ったことは、
ということだった。
大体、このマラソンというものは、程度の差こそあれ、
とどのつまり、
「苦しい中、よくがんばった。完走おめでとう!」
ということになっていく。
それが、今年はあの欽ちゃんが走る。
そこには、きっとこれ以外に自分を感動させてくれるものがある。
それは、何を根拠にということではなく、確信として自分の中にあった。
ただ、それが何なのかは、実のところ全く想像がついていなかった。
そして、この二日間。
実際に、欽ちゃんが走っている光景を見て、それが何なのかはっきりと分かった。
欽ちゃんは、応援してくれる全ての人に応えていた。
かざされる手には全て触れ、投げかけられる声援には全て笑顔で返していた。
それは、調子のいい時、気分のいい時だけではなく、
どんなに辛いときでも、文字通り全ての人に。
それは「完走すること」以上にすごい事だった。
欽ちゃんはそう言った。
この言葉、この姿勢の中にこそ、
心を強く揺さぶられるものがあり、欽ちゃんがくれたもののような気がした。
それこそが、欽ちゃんが走ることの意味であり、
欽ちゃんが欽ちゃんであり、その優しさの源のように思えてならなかった。
月並みだけど、言わずにはいられない。
何回言っても、いい足りない。