夕凪の街桜の国

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見ながら、本当にいろいろ考えさせられました。

正直、これほどいろんな事が頭の中を巡るとは予想していませんでした。


先ず思ったこと。

それは、「原爆」と「死」という二者の間にこんなにも多くの捉え方があるんだということ。

それが、セリフとしてたくさん出てきました。


「私は、誰かに死んでもいいと思われたんだ。」

「私は、(原爆で)死ななくてもいい人間だと思ってた。」

「なんで、私は死ねないんだろう。」

「私は、いつ死んでもおかしくない人間なんだ。」


原爆を経験した人にとって「死」とは、やはり特別なものなんだということなんでしょう。

そしてそれはイコール「生」もまた特別なものだということ。

「死」により切迫したした人ほど、「生」をより大事に出来るんだろうとも思いました。



そして、シンプルだけど、印象的だった言葉。

「なんで広島だったんだ。」

もし、被爆した人に一つだけ「なんで」を挙げてもらうとしたら、

「なんで戦争をしたんだ」より

「なんで原爆を落としたんだ」より

「なんで広島だったんだ」というのが一番にくるんじゃないかなぁと感じました。



そしてもう一つ。

これは、劇中の言葉ではありませんが、

以前、佐々部監督がテレビで言っていた、

「『桜の国』があったから、この映画を撮れると思った。」

という言葉。

原爆を経験したことのない人間が、自分の知らない『夕凪の街』だけで、

原爆を語ることは出来ない。


すでに手垢のついた言葉かもしれませんが、

「まず知ること」

それが、大切であり、

「忘れないこと」

これも、大切なはずです。