「動機」と「すること」

ちょっと思い出したので書いてみます。

子供の頃、学校の先生から言われた言葉で、今でも忘れられない言葉ってありませんか?

ちょっとした事なんですが、今でも鮮明に覚えている事があります。

それは、小学2年生の夏休み明けの事です。

夏休みの宿題でやってきた「自由研究」(地元では「一研究」と言っていましたけど)を

2枚ほどの模造紙にまとめるという作業をしました。

それぞれの項目にそって、研究報告をまとめていくのです。

①研究をはじめようと思った理由  ②研究すること  ③研究のしかた

④研究の結果  ⑤研究してわかったこと  ⑥感想

確かこんな感じだったと思います。

当時私は、「アリの研究」というのをしました。

大きなビンに土を入れ、そこにアリを入れ、巣の出来方を観察し、記録していく。

よくある自由研究のテーマです。

そこで私を悩ませる事になったのが、①と②です。

最初、私は①のところに

「いつも見ているアリの巣がどうやって出来るのか知りたかったから」

と書いて、先生に見せにいくと、

先生は、「それは②でしょ」とこう言うわけです。

表現が悪いのかなと同じような事を、何度も言い回しを変えて見せに行っても、

帰ってくる答えはいつも同じ。

当時、まだ子供だった私は、先生の言っている意味がわからず、さんざん苦しみました。

①と②の違いって何?「研究すること」って何?


でも確かに、その段階の事を振り返ってみると、

①いつも見ているアリの巣がどうやって出来るのか知りたかったから

②いつも見ているアリの巣がどうやって出来るのかを調べる

と、二つの項目に全く同じ言葉を並べるしかなかったのです。

そしてさんざん悩んだ挙句、最終的に先生からOKをもらった①の内容が、

お兄さんが同じ研究をやっているのを見ていて、


自分もやってみたくなったから


でした。(当時はOKをもらったものの、何でかはよくわかっていなかった)

でもよく考えてみると、

子供心にどこか「キレイ」に言いたいみたいなところがあったんだと思います。

「アリの巣を調べたい」なんて日常の中でいきなり思いつくはずがない。

「一般論ではなく、何故『あなた』がそれをやろうと思ったのか?」をそのまま書け。

というのが先生の言いたかったことなんじゃないか、

と、今になってわかった気がします。

人間、そんなに立派じゃないんだから。


よく就職活動かなんかの志望動機で、

弁護士になりたい人が、その理由を、

「法律を使って、困っている人たちを助けたいから」とか言っていたり、

アナウンサーになりたい人が、その理由を、

「たくさんの人に今起こっているニュースを伝えたいから」とか言っているのを

目にする事があります。

でも、よく考えてみれば、結局それは、

単なる一般論で、もっと言えばその職業の「仕事内容」を説明しているに過ぎません。

上の話で言えば、それは「動機」ではなく「すること」なんだと。

必要なのは、何故そう思うように至ったかの理由。

「○○だから」→


「たくさんの人に今起こっているニュースを伝えたいから」→


「だからアナウンサーになりたい」


どれだけ切実に伝える事の出来る「○○」の部分だと思います。


別に就職活動に限らず、人生何においても、

迷った時に立ち返れる「本質的な動機」


というものを持つことが大事だと思います。


大学の時、司法試験に合格したOBが来て、

「弁護士は、かっこよくて、もてそうだったから」


と、その動機を聞いたとき、最初は「何だコイツは?」と思ったものの、

後になって、妙に腑に落ちて、納得したのを覚えています。


話がいったりきたりして、長くなってしまいましたが、

何となく、言いたい事が伝わったでしょうか?