太陽の蓋

「相手は民間企業だ。それを国がコントロールするのは本当に難しい。」

「ありもしない情報をどうやって隠せるんだ。」

「本当の事を知らされていないのは、日本人だけじゃないかしら。」

「人は選択のチャンスは何度もあったんだ。」

「爆発するかも知れない原発から撤退するなという事が、どういう事か分かるか。」

「情報があれば何か出来ましたか?」

「日本は今でも国ごと滅びる危険性をはらんでいるんだ。」

「まだ何にも終わってないんですよ。」


(スピンオフ)

「前に進もうとするのが政権だ。」

「本当に伝えるべきだったのは、

体絶命まで追い詰められていたこの国の事だったんじゃないですか。」

「ここ(福島)が無いと東京はやっていけない。東京が無いとここはやっていけない。」

「戻れる所があってこその避難です。」

「考えよう。私達一人一人に何が出来るのか。そうせずにどこかへ進めるなんて私は思わない。」


メディアは書きたい事を書き、国民は見たいもの見る。

ただ来、事実とは色眼鏡を通して見るべきではない。

あの事故を当時の首相の、当時の政権のイメージだけで片付けてはならない。

当時、最大の落ち度は情報共有の不備だろう。

情報さえ共有出来ていれば、避けられた混乱もたくさんあったはずだ。

「撤退は有り得ない。」

この言葉一つとっても、

政府、東電、現場の作業員、そして一般国民、

それぞれの立場で受け取る意味合いも異なる。

時間が経過すれば、当時の記憶は、その危機感と共に薄れていく。

ここに描かれているのは、フィクションではなく、現実に起こった事だ。

その記憶を今一度蘇らせる点において、この作品の持つ意味は大きい。