「思い」と「表現」

伝えたい「思い」がある。

それをそのままストレートに伝えれば、それは簡単だ。

変に加工を加えない分、より正確に伝わるかも知れない。

しかし、それを「表現」として伝えようとすれば、

「思い」の高低ないし強弱以前に、

「表現」としてのクオリティーが求められる。

ともすれば、表現の失敗から、思いが届かない危険もある。

そんなリスクや回りくどさを負ってまで、

表現者が「表現」という手段を選択する理由は何か?

察するに、それは「表現」が「武器」だからだろう。

ありのままの「思い」より、

表現という武器を纏った「思い」の方が、

より広く、より深く届くに違いない。



ある小説家が言っていた。

「次は思い切り評論を書きたい」と。

おそらく「思い」を全面に押し出して、目一杯伝えたいのだろう。

ただ、今回読んだ作品。

積年の思いを小説として届けてくれたことに、心から感謝したいと思う。