代弁者
下記は5日に報じられた記事です。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110405-00000001-exp-musi
記事の内容、そしてそこに寄せられたコメントを読んで思う。
震災後、これ程ストレートに自然そのものを責めた「表現」に出会ったのは初めてだった。
「自然が憎い」そんなことを言えば、叩かれる事は目に見えている。
彼はそれを百も承知で被災者の内なる叫びを代弁し、あえてその矢面に立とうとしている。
相手が自然だからこそ、みんなやり場のない怒りを必死になって我慢しているはずだ。
「自然を責めてもいいんだ」
そう思うことで、被災者の心の重荷は、少しでも軽くなるかも知れない。
「自然に怒ってどうする」と言った人たち。
そうやって正論をぶちまけて、悦に入る事は容易い。
ただそれを、被災しあまりに多くを失った人を目の前にして言えますか?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110405-00000001-exp-musi
記事の内容、そしてそこに寄せられたコメントを読んで思う。
震災後、これ程ストレートに自然そのものを責めた「表現」に出会ったのは初めてだった。
「自然が憎い」そんなことを言えば、叩かれる事は目に見えている。
彼はそれを百も承知で被災者の内なる叫びを代弁し、あえてその矢面に立とうとしている。
相手が自然だからこそ、みんなやり場のない怒りを必死になって我慢しているはずだ。
「自然を責めてもいいんだ」
そう思うことで、被災者の心の重荷は、少しでも軽くなるかも知れない。
「自然に怒ってどうする」と言った人たち。
そうやって正論をぶちまけて、悦に入る事は容易い。
ただそれを、被災しあまりに多くを失った人を目の前にして言えますか?