こころ

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ひとに愛想を尽かした私は、自分にも愛想を尽かして動けなくなったのです。

―――『こころ』夏目漱石



根源的な部分において、人間に自ら死を選ばせるものがあるとしたら、

それは一体何だろうか?

お金や、生活といったものは、実は表層的なものでしかない。

“孤独”

確かにそれもある。

“自分以外誰も信じられない”

それも確かに悲しい事に違いない。

でも、それだけだったら、この「先生」がそうだったように、

世の中の全てを軽蔑して生きて行けばよく、自ら死を選ぶ必要もない。


ただ、そう思うべき自分自身が、自分自身もまた、

軽蔑されうる人間であると悟った時、

これまで維持していた拠り所を見失い、自分への信頼も見失い、

ついには“死”を選ぶことを余儀なくされてしまうのだろう。


この本は、人間が死を選ばざるを得ない理由を提示することによって、

人間が生きていく上で必要なものを示してくれているように思う。

自分なりに解釈すれば、それは


自分が自分自身を信じていること



ものすごいエゴのように聞こえるかも知れないけれど、

最終的には、そこに行きつくような気がする。

自分自身につくウソは、何より一番辛いはずだから。






書店に行って、思うことがあります。

これだけ日々、新刊本が発行される中で、

しかも、書棚に陳列可能なスペースには、厳然たる限界があるにも関わらず、

なぜ漱石や太宰といった古典は、威風堂々たる風格でそこに居座り続けることができるのか?

やはり、それには納得の理由があります。

普遍的な真理をもったものは、いくら年月が経とうとも色褪せることはありません。


「夢をかなえるゾウ」が170万部だからって、慄いてはいられません。


この「こころ」

これまでに、何人の人の“心”を打ったことでしょう?


世の中で自分が最も愛しているたった一人の人間すら、
自分を理解していないのかと思うと、悲しかったのです。
理解させる手段があるのに、理解させる勇気が出せないのだと思うとますます悲しかったのです。

―――P292


乃木さんは、この三十五年のあいだ死のう死のうと思って、死ぬ機会を待っていたらしいのです。
そういう人にとって、生きていた三十五年が苦しいか、
また力を腹に突き立てた一刹那が苦しいか、どっちが苦しいだろう。

―――P299


私を生んだ私の過去は、人間の経験の一部分として、
私よりほかに誰も語りうるものはないのですから、それを偽りなく書き残しておく私の努力は、
人間を知るうえにおいて、あなたにとっても、他の人にとっても、徒労ではなかろう。

―――P300