ナイロビの蜂

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アフリカに殺人事件などありません

“痛ましい死”があるのみ

そのような死を超え 文明社会は利益を得ます

利益はたやすく得られます

彼らの命は あまりに安いからです


この世の中には、以下に自分たちの知らない“現実”がたくさんあることだろう。

それは、自分から気が付こうと能動的にコミットしていかなければ

全く無関係のまま、一生を終えることも可能な“現実”だ。

この映画を見ながら、

なぜかずっと「中田英寿」の事が頭の中にあった。

「サッカーを止めて、世界中を旅している」

そんなのは、ただの金持ちの道楽ではないか?

ずっとそんな思いでいたけれど、ふと自分に置き換えて考えてみる。

「もし自分に有り余るほどの金と時間があったとしたら、

わざわざ“辛い現実”を見に、その現場まで行こうとするだろうか?」

目を背けたくなる現実に対して、

何の義務も責任も感じないで済むとしたら、

それは「知らないふり」をすることではなく、

「事実として知らない」事だ。

知っていながら、何もしないという事に人は一番罪悪感を感じるのかも知れない。


「知る」という事は、やはりそれなりの意味を持つことだ。

たとえ何もしなくても、何も出来なくても

知らないよりも知っているほうが、その人にとっては何らかの意味を残す。

その意味でもこの映画を見たことは、「意味」があったように思う。

あからさまなメッセージではなく、

あくまで「映画」という表現を使って訴えかけられる分、

より深く伝わってきた感じがした。

それに純粋に映画としても見ごたえがあった。

無神経にスリルを煽るようなことがなく、

淡々と描かれているのも、この種のサスペンスものとしてはいいと思う。