明日の記憶
こんな表現がいいんだろうか?
メッセージを伝えられるということに心地よさを感じた。
いろいろと考えさせられた。
いろいろと考えたくなるような気持ちにさせてくれた。
それだけでも、この作品を見てよかったと思えるし、
見る意味があったように思う。
もし自分に「記憶」がなくなったら、自分が自分で無くなってしまうのでは。
といことを改めて感じ、恐ろしい感覚に襲われた。
「自分」というもののアイデンティティーを何よりも司っているのが記憶なんだと。
とするならば、「記憶」がなくなるということは、
手足をもがれることと同様、もしくはそれ以上につらいことかも知れない。
人間、いつ何時、記憶を失ってしまうかわからない。
自分が自分を忘れてしまった時、何を持って自分というものを証明するのか。
僕の中にある「作品というもの」への執着の裏側には、
そうなった時の、自分の存在証明を残しておきたいという思いがあるのかも知れない。
そして今、こうして書いているこのブログもまたその一つになるはずだ。
そしてもう一つ。
とかく「記憶」ということになると「忘れる」ということをまず考える。
しかし、この先も生きていく上で、
と、思った。
「過去」は大切だけれど、失ってしまっても何とかやっていける。
しかし、この先「何も覚えることが出来ない」としたら、
これほど辛いことはないように思う。
最後にもう一度。
見てよかった。
取引先の課長からの最後の電話のシーン。ああいうの好きだなぁ…