欽ちゃんの言葉

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人間「死にたい!」って思ったときは、「生きたい!」って心が叫んでるんだな。

今の状況が辛いから、他の状況で生きたい、って叫んでるんじゃないの?

だから、やっぱり自分で死んじゃいけないよね。

――― 萩本欽一


これを読んだ時、久々に震えました。

朝の電車の中で、全身に鳥肌が立ちました。


今、欽ちゃんの自伝を読んでいます。

「何でか?」

決め手となったきっかけは、ベタ過ぎるので省きますが。

でも、なんで欽ちゃんの言葉、欽ちゃんという存在は、心に響いてくるんだろうか?

いつも感動している割に、

欽ちゃんが一体何者なのか?と言うことは、ほとんど知らない。

何がどうなって、今の欽ちゃんに至っているのか?

途轍もなく知りたくなってしまったんですよね。

この本で、いろんなことを知りました。

何で欽ちゃんが「コメディアン」という道を選択するに至ったか?

コント55号を組んだ時に、二郎さんから言われた言葉。

天狗になりかけた時に、青島さんから言われた言葉。

アメリカ挑戦をやめた、だん吉さんの言葉。

そうだったのかと思うこといっぱいです。


読んでいると、どんどん当時の「空気」と言うものを知りたくなってきます。

そう思い立ったら、抑え切れなくなり、

今日DVDと小林信彦さんの「テレビの黄金時代」という本を買ってしまいました。

何か、今のテレビやお笑いの突破口を見つけようとしたら、

「今」ばかりを凝視し過ぎていたら、

行き詰るだろうし、似通ったものしか出てこないような気がして…

「過去」のものでも、未知のものは、「新しい」んです。

僕がどんなに背伸びをしてみても、一番古く記憶に残っているものは、

ひょうきん族の懺悔」ぐらいからだろうか?

それ以前となると、もう実体験としてはありえない。

だからこそ、そこに何かしら発見があるように思えてなりません。


早速、コント55号のコントをほんの少し見てみました。

正直、まだ爆笑したとまではいっていない。

でも、これから30年後。

今大量に垂れ流されている笑いとこのコント55号の笑い。

どっちが笑えるかと考えたら… 


とにかく今は、欽ちゃんが何者か?を知りたい。

過去のテレビ、笑いに一体何があったのか?を知りたい。

そして、その辺のことに日本一詳しい20代になりたい。

そんなことを思いついて、一人テンションの上がった一日でした。