硫黄島からの手紙

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ある、とても感動したエピソードがある。

いつだったか、井筒監督が言っていたダスティン・ホフマンの話。

彼が、初めて来日した時、はず始めにした事。

それは、アメリカが日本に原爆を落とした事の謝罪だったという。



アメリカ人であるクリント・イーストウッドが、日本からの視点で「戦争」を描く。

さんざん言われている事だと思うが、これは本当に意義深い事だと思う。

別に、謝罪までして欲しいという訳ではない。

ただ、こうして描こうとしてくれた事は、日本人の一人として、純粋に嬉しく思った。


ちょうど2週間前に見た「父親たちの星条旗」に対して、

この作品からは、これぞ「戦争映画」という印象を強く受けた。

一言で表現するならば、「徹底的に乾燥していた」ということだろうか。

ほとんど色合いの無い画面の中で、火花が散り、人が死んでいく。

さほど潤いのある、目新しいドラマはない。確かに、目新しさは無かったんだ。

ただその分、より戦場というもののリアルな質感が伝わってくるような感じがした。

そんな中で、いくつか出てくる涙の場面は、

さながら「砂漠の中のオアシス」といった感じも受けた。


「どうせ皆、死ぬんだ」という諦念。

「勝って、生きて帰るんだ」という暗示。

「殺さなければならない」という覚悟。

「潔く死ななければならない」という信念。

平和に包まれていながら、たった一つの感情すら


コントロールするのが下手くそな現代人に対して、


「戦場」という極限の状況の中で、彼らはどれだけ多くの感情を、


瞬時に切り替え、持つ状況と必要に追い込まれたことか。


その事を、一番強く感じた。


正直、今日は寝不足だったということもあり、見るべきか迷った。

せっかく見るのに、途中で寝てしまうんではないか、と。

結果、そんな心配は不要だった。


P.S. もしお暇でしたら、以前に書いた「船底の穴」っていう記事も読んでみて下さい。