何者

「就活はダウトみたいなもので、自分の持っているカードを強く見せる事は出来る。」

「大企業に入りたいのは、一人では生きていけないと言っているようなもの。」

「あれだけ一緒にやってきて、衝突しない方がおかしい。」

「頑張っている姿を誰かに見てもらいたいと思っているうちは、何にもなれない。」

「頭の中にあるうちは、何でも傑作だ。お前はそこから出られない。」

「コータロー君は、自分の人生にドラマを作って、その主人公になれる。」

「『内定』って言葉は不思議だ。自分の全てが肯定された気になる。」

ツイッターで自分の努力を実況中継していないと、立っていられない。」


それがどれだけ鋭く、的を射たものであったとしても、分析は分析でしかない。

自分ではない誰かになれる場所を見つけて、高みから観察する。

それは確かに気持ちのいい事かも知れないが、それだけで「何者」かにはなれない。

自分の努力や頑張りをアピールするのは、格好悪い事かも知れない。

ただそうしていないと立っていられないというのも切実な本音だ。

100点の分析より、20点の自分。

自分自身の言葉が出せた時、やっと道が開けるのだろう。