最後の忠臣蔵

「死んだ者より、生き残った者の方がつらい」

瀬尾孫左衛門にとって、この十六年という年月は一体何だったのか?

討ち入り直前に命惜しさに逃げ出した臆病者の汚名を背負い、

忠義を誓った主の娘を隠し育て上げるという使命を背負い、

彼の背負ったものは、あまりにも重かった。

その重みは、おそらく背負った者自身にしかわからない。

それでも、ただ一つ確かだと思い至るのは、

この「重さ」がなかったら、彼は間違いなく死んでいた。

彼をこの世に辛うじて繋ぎとめておいたものこそ、

可音であり、使命であり、そこから来る「重荷」でもあったのだ。

人は、その背負うべき物の重さが即ちその人間の命の重さと言えるのかもしれない。

背負うものがあるからこそ人は生き、生きる意味にもつながる。

生きるべき意味のあった人生が、苦痛だけであったはずはないのだ。

そして、生きるべき意味を果たしたら、至極当然に生命を絶つ。

それが侍としての生き様だとしたら、なんと潔い生き方なのだろうか。

真っ直ぐ生きる人達の姿に自ずと涙がこぼれた。


そして、もう一つ印象的だったのが、嫁ぎ先へ向かう道中。

今回、ストーリー上、大石内蔵助の人物描写は少ない。

それが、彼への恩を返そうと次々に集まってくる人の様を見ているだけで、

大石内蔵助という人物像が、鮮明に浮かび上がってくる。

ある人物について表現する時、

直接本人を描くより、その周囲の人間を通して描いた方がより伝わる

という事がよくわかった。


映画を見て涙を流したというのは、久しぶりだった。

しかも、ハンカチまで必要になるとは予想外だった。

一年の終わりに良き作品に出会えた。