「映画」ってやつは…

「映画」ってやつは、つくづく偉大だと改めて思う

映画の前で、人は平等であり、自由である


それまで生きてきた過程で手にした幾ばくかの金銭を支払い

ある一定の時間を捧げて、スクリーンの前に座る

やがてスクリーンに映し出される映像を前に、人は一対一の対話をする

その行為には、いかなる差別も存在しない

年齢、性別、貴賤…

どんな人間であれ、そこから投げらるメッセージに対して

反応を返す権利を有している

その一定の時間、空間の中においてはそれが許される

有名監督、多額の製作費、前評判…

その背景に何があろうと、人は「感想」を持っていいんだ

映像を見ながら、再び自分の中に血が通い始めるような感覚を感じ

改めてそう思った


現実は、決して理想通りの事ばかりが起こる訳ではないし

辛いこと、逃げ出したくなることも多くある

そんな現実の中で

辛うじて正気を保っていくために

人は日常の中に顔をうずめ、思考を止め、血を止めながら生きている


ただ「映画」を前にすると

再び血は流れ始め、思考は復活する

それは強要されたものでもなく、意図的なものでもない

無意識のうちに湧き上がってくるものだ


映画に限らず、本でも、音楽でも、絵画でも

「作品」と呼べる優れたものには、それだけの力がある


人は誰しも「感動する権利」を有している

どんなに辛くても、厳しくても、空しくても

何かに触れ、「いいな」と感じることはできる


それが出来るから、それがしたいから

人はわざわざ劇場まで足を運び、映画を見る


そしてそれが出来るうちは、そしてそれが出来た時は

「自分ももう少しやっていけるな」って思うことができる



日常は平坦に続いていく

その平坦さこそが「幸せ」ということもできる

「ここではないどこかへ」と想いを馳せられるのも

そう言える「ここ」があって初めて言えることなのかも知れない


ただその平坦さの中には、特筆すべきものなはい

何か書きたくても書けない

やはり何かを書くためには

何かを書きたくなる「何か」が必要なのだ


その「何か」を初めから求めて映画を見に行ったわけでななかった

しかし「映画」は確実にその「何か」になりうる事を改めて実感した


平坦な日常にささやかな起伏を与えてくれる

もう自分に起伏は訪れないんじゃないかと感じていた時だっただけに

その事が、たまらなくうれしく思えた


だから今、自分はこうしてここに拙い文章を綴ることが出来ている

そうだ

いつだって再開のきっかけは「映画」から貰っていた気がする


「映画」を見て、「面白い」と感じる、もしくは「つまらない」と感じる

どちらであれ感情の針が振れている限りは、自分はまだやっていける


だからやっぱり

「映画」ってやつは、素晴らしい